表題番号:1996A-217 日付:2010/11/16
研究課題縄紋時代晩期の社会と文化の研究-縄紋時代終末期の文化適応と文化変動について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助教授 高橋 龍三郎
研究成果概要
 縄紋時代晩期の日本列島は、石器時代の終末を迎えて様々な地域的展開を示す。その一つに、西日本を中心とした稲作農耕への顕著な動きがある。その生態学的背景として、晩期終末から弥生前期にかけての気候環境の悪化に対する、縄紋人の文化的適応の示現した姿を看取することができる。生態系の変化に応じて、悪化した食料事情に対する文化的適応の一選択肢として、稲作農耕を位置付けるわけだが、その傾向は九州・中国・近畿・東海の諸地方に顕著である。しかし、東北地方や北海道方面では、大きな文化的変容は看取されない。この点について、気候環境の変化が必ずしも日本列島全体に対して一様な影響を与えたわけではなく、生態学的変化の程度や質には多様性があり、地域的に異なった対応の仕方があったと考える。東北地方の晩期に隆盛を誇った亀ヶ岡文化の経済的基盤を支えたと考えられるサケ・マスの漁労活動は、寒冷化の影響による食料資源の相対的減少を最小限にくいとめる重要な働きをなくしたと思われる。その捕獲活動が周年的でなく季節的に限定されるだけに、保存備蓄の技術が重要な鍵となる。北太平洋の北方海域をめぐる沿海地域には、乾燥保存して備蓄したサケに年間食料の大部分を依存する民族例が多数あり、多くの示唆を与える。日本基層文化に残るサケ・マスの民俗例も縄紋時代の生業を復元する上で重要な参考資料と考えられるので、私は昨年9・12月に新潟県村上市を流れる三面川に出向き、著名なサケ居繰り網漁を民俗調査した。特に注目されたのは保存法で、内臓を除去してから軒下に大量に吊して自然乾燥させる保存方法は、当地域に残る最も簡便な乾燥法として知られ、技術の単純さ、用いる道具の簡便さから判断して、最も原初的な保存法と考えられる。これらの事例に共通の原初的保存技術は、縄紋時代晩期の河川漁労と保存備蓄技術を復元する上で重要な手掛かりを与えてくれる。