表題番号:1996A-059 日付:2002/02/25
研究課題1900年前後における日本近代文学にあらわれた「高さ(眺望)」および「高さ(眺望)」崩しの研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助教授 高橋 敏夫
研究成果概要
 日本近代文学は、1900年前後において、「高さ(眺望)」をめぐる闘争のステージとなった。すなわち、「高さ」を確保し、いっそうの「高さ」をもとめる力と、「高さ」を忌避し、さらには、「高さ」を積極的に崩そうとする力とが、あい争う場になったのである。
    「高さ」とはなにか。近代の進行とともに、人々が関係する領域の拡張がすすむ。そこに、日常的な生活空間の範囲を確認したいという大衆的な「国見(眺望)」の欲望があらわれるが、それは領土の拡張をもとめる国家の「国見(眺望)」の欲望とほぼかさなっていた、といってよいだろう。「国見」的な「高さ」の顕著なあらわれが、日清戦争中に出版されベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』であったことは、その意味で注目されてよい。
 すでにわたしは、田山花袋・国木田独歩・泉鏡花等の同時期のテクストを「高さ」をあぶりだしながら検討してきた。本年度は、広津柳浪の「変目伝」(1895)を選び考察した。「広津柳浪の怪物-『変目伝』における身体・戦争・衛生・下層」(「国文学研究」第120集、96年10月)がそれである。
 日清戦争の「戦中文学」とも「戦後文学」ともみなされるこの物語空間には、同時代の戦争の熱狂はまったく流入していない。物語がまなざしをむけるのは、「身材いと低くして、且つ肢体を小さく生まれ付きたり。ゆくは六寸五分、丈は三尺一寸」の身体をもち、しかも、顔面に湯傷の後がのこる伝吉という男である。「衛生」の権力によって「身体」が標準化されるとともに、「兵士の身体」を理想型として、「国家」に奉仕する身体と奉仕しない身体とに「身体」が分割されていく最中、伝吉は標準以下で国家に奉仕しない身体、いわば「反兵士の身体、反国民の身体」の所有者として登場する。伝吉の身体は、「高さ」への欲望を身体のレベルで相対化するものとしてある。物語は、伝吉の身体をとおして、「眺望」を拒まれた者の視線が「眺望」じたいの差別性、権力性をあばきだす瞬間をもたらす。わたしは、そこに「怪物」の可能性をみる。
 怪物的身体をめぐる同様の考察は、「一筋の血を流しつづける裂けた身体-『大菩薩峠』と物語の身体」(「早稲田文学」96年4月)でもおこなった。