表題番号:1996A-055 日付:2002/02/25
研究課題マラルメ書簡の研究-その知的交友圏の形成と展開
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 川瀬 武夫
研究成果概要
 「マラルメ書簡の研究-その知的交友圏の形成と展開」と銘打った本年度の特定課題研究は、一般に「書かない詩人」とされてきたステファヌ・マラルメ(1842-1898)が思いのほかに大量に残している書簡テクストの存在に注目して、手紙を書くという行為が彼の詩的営為において果たしていた役割を吟味し、同時にこれらの書簡の資料的意義の評価をおこなうことをめざした。本研究の過程で得られた知見を以下に箇条書きで述べてみる。
 (1)マラルメ書簡が書かれた1862年から1898年までの年度毎に対信者別リストを作成しながら、各時期の書簡の特徴を把握するように努めた。
 (2)その結果、マラルメの詩人としての経歴の前半期(1862-1880)に書かれた書簡はおのれの文学的信条を身近な友人に吐露した長文の「文学書簡」が重要な位置を占めるのに対し、詩壇の名士となった後半期においては、献本に対する簡潔な礼状を中心とする社交儀礼的な色彩が強くなっていくことが判明した。
 (3)マラルメがパリの自宅で開いていた有名な文学サロン「火曜会」の実体は、これら晩年の書簡の検討を通じてはじめて明らかになる。この時期のマラルメの知的交友圏のめざましい拡大は、「火曜会」が師を崇拝する一握りの弟子による秘教的な結社ではなく、同時代の前衛的芸術運動の主要な担い手たちを結集した類例のないサロンであったことを示している。この「火曜会」を舞台とした活発な文学・芸術思想の交流こそは、十九世紀末フランス文学研究の最も魅力的なテーマのひとつとなるであろう。
 (4)ただこの時期マラルメは対信者の氏名と住所を定型四行詩に織り込んだいわゆる「アドレス詩」の制作に熱中しており、その意味では、社交的な挨拶にしか見えない短い手紙にも、マラルメが書くという行為に託した秘かな意図が見てとれる。「地上世界のオルフェウス的解明」と規定される、マラルメのついに実現されなかった壮大な<書物 Livre>の夢の「陰画」が、じつはこれら晩年のおびただしい量の書簡群であったといえなくもない。
 (5)マラルメが同輩や年下の文学者たちから送られてきた献本に対して書いた礼状には、彼の文学的な趣味や立場についての「本音」がしばしば語られており、生前に公刊された著作からは窺いしれない詩人の批評眼を垣間見ることができる。
 本研究の成果は、現在鋭意編集・翻訳作業が進行中の『マラルメ全集V・書簡II』(筑摩書房、1998年刊行予定)において有益に活用されることになる。