表題番号:1996A-050 日付:2002/02/25
研究課題北欧社会における現代への「突破」Gennembrudに関する研究-デンマークを事例として
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 村井 誠人
研究成果概要
 デンマーク史における「突破」は、国際関係の座標的認識に限って言えば、外交的状況を”力”に頼りうるものとして理解する”好戦的”なナショナルリベラルという知識階層が政治的・社会的・文化的領域で君臨していた状況の存在を前提にして、”力”の限界を認識し祖国を小国と自認するいわば”国防ニヒリズム”的な”平和主義的”実感を持つ人々の抬頭現象とも言えよう。現実には、そのイデオロギーを政党綱領として掲げる1905年の急進左翼党の出現によって、第二次世界大戦までのデンマークの外交的動きが説明可能となったのであるが、この政党のイデオロギーを先駆的に育んだヴィゴ・ヘーロプやブランデスの1870年代における抬頭が決定的意味をもつ。それらを報告者は1994年の『文学研究科紀要』第39輯の拙稿等において指摘してきたが、それらで指摘したヘーロプの認識が外見上時代状況の大幅な変化があったにもかかわらず、第一次世界大戦直後はもとより、第二次世界大戦直後に至っても急進左翼党の立場を固執する歴史学者オーエ・フリースによって明確に改めて語られるのである。そこでは決定的敗北を喫したドイツの”強国”としての再興など起こりえない状況のもと、なりゆき次第では南スリースヴィの”祖国復帰”が明確な世論になりえた時代にあって、国境の不変を主張した。彼の提唱した国境政策は、デンマーク内のドイツ少数民族の優遇策であり、その政策によって生ずる信頼醸成によって、国境の外にいるデンマーク少数民族の対遇が改善され、それが”平和で安定した”国境をもつデンマークの安全保障に繋がるとしたのである。そして現実に国境は動かなかった。
 こうした発想法が、たとえば近隣には”真の友人”を持たない我国の国民にとっても、我国の安全保障の一つの策として、在日外国人の充分な権利保証に対する前向きな姿勢をとるべきだという立場に支持を与えることになろうか。