表題番号:1996A-049 日付:2002/02/25
研究課題アッシリア学の成立とヨーロッパ19世紀
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 前田 徹
研究成果概要
 西アジアの古代を対象とするアッシリア学は、西アジアでなく西欧、とりわけ英・仏・独の三カ国において19世紀に成立、発達した。本課題では、アッシリア学の成立を19世紀ヨーロッパの政治・軍事・文化との関わりから考察し、アッシリア学が現在に引きずる問題の在処を再確認することを目的とした。(1)啓蒙主義とロマン主義、(2)政治:帝国主義時代と西アジア、(3)文化:オリエンタリズム:シノワズリ、ジャポニズムの3視点を設定し、人類学・地質学・古生物学などの学問の発展の側面、西欧の政治的軍事的力学の側面、それに付随するオリエンタリズムの側面から検討した。
 アッシリアの都の発掘を競った英仏の二人がともに領事であったことや、その後の発掘を推進した母体がドイツでは1898年にドイツ皇帝のの肝煎りで創設され、国家の援助のもと、政治家・官僚・財界・教会の有力者がメンバーになっているドイツオリエント学会であったように、国家の威信をかけた活動であったことが確認される。
 アッシリア学の進展の過程で、非セム系語族の発見により、アーリア人問題などが議論され、イデオロギッシュな人種論争の的になった。しかし、アッシリア学は聖書学の影響を被っている。アッシリア学成立期においては、発掘で見つかった粘土板記録と旧約聖書との調和をはかり、古典たるベッロソスやクテシアスを利用して枠組みするという、ある意味で旧守的な学問態度が主流であったのである。学問の周辺において人種論的偏見による論争があったとしても、学問自体においてはその防波堤の役割を果たしたといえる。さらに、東方の憧憬というオリエンタリズムに影響を与えるとしても、オリエンタリズムからほとんど影響を受けなかった。
 このように、聖書学に制約されたアッシリア学の功罪を意識して、人類史の一部としてのアッシリア学を構築する必要がある。