表題番号:1996A-041 日付:2002/02/25
研究課題ドイツ中世都市フランクフルト・アム・マイン
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 小倉 欣一
研究成果概要
 わたくしは、本研究助成費により、神聖ローマ帝国有数の都市フランクフルト・アム・マインを事例とするドイツ中世都市の研究をさらに発展させ、これまでの成果を増補するとともに、集大成する作業を開始した。中心となるモティーフは、ヨーロッパ都市の特徴をなす、都市と市民の自由と自治であり、都市共同体の成立と発展の道筋を解明しようと努めた。
 古代ローマ帝国の都市生活が中世に復活したライン川岸の司教都市ケルン、マインツ、ヴォルムスなどと異なり、フランクフルトは、フランク時代の王宮所在地であり、シュタウフェン朝諸王の帝国領域政策の拠点としてフリードベルク、ヴェッツラー、ゲルンハウゼンと並んで国王都市の誕生をみた。大市(メッセ)の保護をはじめ諸特権を与えられ、商業交易が興隆したが、大空位時代の不穏な政情のなかでライン、ヴェッタラウ都市同盟に参加し、自立性を高め、帝国都市と自称した。しかし、諸侯の領邦形成が進につれ、新たに王権と結びつきながら、獲得した自由と自治を維持しつつ繁栄をはかる道を求めた。この点で、諸侯に従属した多くの領邦都市とも、明らかに相違している。
 中世後期の「封建的危機」の時代になると、フランクフルトは富裕な商人層と手工業者層の市政をめぐる対立を抱え、国王選定地として帝国政治に深く係わり、周辺村落に対する領域支配をめざして諸侯や騎士と抗争した。シュワーベン、ライン都市同盟の諸侯との戦争に従軍し、1389年近隣のタウヌス山地のクローンベルク城の攻略で大敗し、市長を含む多数の市民の身代金と賠償金の支払いに財政が破綻し、市政改革がおこなわれた。折りから、新兵器(火器)の開発の時期に当たり、城壁や防塁の補強、傭兵の広範な起用と合わせて都市の重要な課題となり、中世都市から近世都市への移行がはじまった。