表題番号:1996A-040 日付:2002/02/25
研究課題法隆寺金堂の釈迦三尊像と法隆寺の創建・再建
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 大橋 一章
研究成果概要
 奈良斑鳩の法隆寺は世界最古の木造建築としてあまりに有名であるが、その金堂中の間には鞍作止利が制作した釈迦三尊像が安置されている。つまり釈迦三尊像は金堂の本尊ということになるが、現存の金堂は天智9年(670)に法隆寺が焼失したあと再建されたものであるから、釈迦三尊は再建法隆寺の本尊として金堂の中の間に安置されたのである。このことから、従来多くの先学は創建法隆寺でも釈迦三尊像が本尊であったと推測してきた。しかしながら、釈迦三尊像の造像銘には推古30年(622)に聖徳太子が発病したため、その病気平癒を祈願して釈迦三尊を発願・制作したことが明記されているから、推古15年(607)ごろ飛鳥寺につづいてわが国第2号の本格的伽藍として聖徳太子が発願・建立した法隆寺の本尊であったと解することにはいささか無理がある。
 創建法隆寺は現法隆寺内の若草伽藍と呼ばれる一画に建てられていたが、発掘の結果金堂や塔の大きさは飛鳥寺のそれとほぼ同規模であった。飛鳥寺の金堂には鞍作鳥が制作した丈六の金銅釈迦像が安置されていたが、飛鳥寺につづいて建立された法隆寺の堂塔の規模が同じであることからすると、法隆寺の金堂に安置した仏像の大きさも丈六ということになる。わが国にはもともと金銅仏をつくる仏師は存在しなかったから、百済の仏師の来日によって仏師が養成されたが、その中で頭角を現わし、指導的仏師に成長したのが鞍作鳥であった。私は創建法隆寺の本尊はこの鞍作鳥が制作した丈六の金銅仏であったと推測している。すると現本尊の釈迦三尊は創建法隆寺の本尊ではなく、太子の病気平癒のために制作したのなら、太子が生前住んでいた斑鳩宮内に建てられた仏堂のような建物に安置されていた可能性が強い。本研究の成果としては、まず法隆寺の創建年代を検討し、ついで造営集団の実態を明らかにしていく論文を発表する予定である。