表題番号:1996A-029 日付:2002/02/25
研究課題ジョルジュ・バタイユ研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学部 教授 吉田 裕
研究成果概要
 前年度までは、バタイユの全体を、そのニーチェ論を読みつなぐことでたどろうとしたが、それを、対象とした論文の翻訳を加えて、七月に書肆山田から『ニーチェの誘惑』という表題のもとに刊行することができた。そのあと、今度はバタイユを、より具体的な場で読む仕事に取りかかっている。その最初の一歩として、彼が活動を始めた1920年代後半から30年代はじめ頃に焦点を当てる仕事を行った。
 そこで明らかにしようとしたことは二つある。ひとつは、事実関係の確認である。
 この仕事は簡単なようだが、いくつかの翻訳を除いて、日本語では十分にはなされていない。この時期は、ことにアンドレ・ブルトンとの論争が問題になるが、バタイユの側からは、敵意があまりに高じたせいか、逆に直接名指しで批判するということを行っていないため、関係を見抜くことが難しい。この関係付けを行うことが、当初の目的であったが、それはかなりなしえたと思う。
 もう一つは思想的な問題である。バタイユは多くの場合、死と結び合わされる。この結びつけは間違っていないが、しばしば死の問題だけに抽象され、限定されることがあり、それでは不十分ではないのか、という疑問があった。バタイユの死の思想の中にはなにかほかのもの、現実的なものが進入してくるような気配がある、という印象があって、それをもっとも初期の段階で探ってみようとした。
 その結果最初期のバタイユは、死の探求をほとんど物質性の探求と同一視していることがわかった。死の経験は、物質の経験として現れている。これが彼の小説をエロチックで暴力的なものとし、また反対側で当時のマルクス主義の唯物論およびシュルレアリストたちをイデアリストと批判する根拠になっていて、さらにその経験が内的体験の様相にまで延長されているらしいこともわかってきた。
 最初期のバタイユについてのこの考察は、「バタイユ・マテリアリスト」の表題で、清水鱗造氏の雑誌「ブービー・トラップ」の17号(1995年4月)から21号(96年8月)に書き継ぎ、改稿して法学部人文論集の96年度号に同じ題で発表の予定である。以後は上記でとらええた立場によって、政治的活動から宗教的探求にわたる中期のバタイユの幅広い活動をとらえることを試みたい。