表題番号:1996A-005 日付:2002/02/25
研究課題プルーストと忘却段階論の諸問題
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 教授 徳田 陽彦
研究成果概要
 マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の第六巻「消え去ったアルベルチーヌ」において、話者は死んだ愛人アルベルチーヌを忘れる心情の過程を三段階にわたって分析している。第一段階では、時間のなかの心理学の作用により、忘却が徐々に進行して、アルベチーヌの回想がもう残酷ではなくなり、話者は嫉妬から隔離される。第二段階では、彼女への愛情が消滅し、回想が断片的になる。彼女の生前の生活の実体を知りたいという欲望は衰えていないが、それを知った結果、ついにはそれが無益な真実であることを悟る。ヴェネチア滞在中に、話者は忘却の第三段階が完成していたことを認識する。アルベチーヌにたいして完全に無関心になり、彼女を愛していた昔の自我が蘇ってこない。彼女への愛が忘却の一般的法則に帰したことを知る。
 プルーストはここで、小説の主人公の忘却という心情の成立と変遷過程を段階にわけて分析・展開させているが、あらゆる過程で、それが人間の心情の一般的法則までに高めて叙述している。「成立」に関しては物語上の真実に達しているといえようが、「過程」に関しては、これから研究しなければならない課題である。
 このように、「忘却の三段階論」は物語表現の見地からすれば、完成度の高いものである。したがって、アルベルチーヌに関するこの忘却の部分がすっかり削除されたモーリアック版の「消え去ったアルベルチーヌ」(プルーストが死の直前に仕上げようとした)は、編者が主張するような”決定稿”ではありえない。プルーストはここで忘却と無意志的記憶のテーマを意図的に削除したのである。その意図の真意を考察し、モーリアック版の余白に書き込んであったプルーストの指示を分析したり書簡等に依拠して、結局、この版は雑誌「レズーヴル・リーブル」用に作製した抜粋であるという筆者の仮説をあらためて確認した。以上の内容の論文をフランス語で書き紀要に発表した。