表題番号:1995A-090
日付:2002/02/25
研究課題H.v.クライストの『拾い子』における解釈行為のアレゴリーと自己参照性の構造に関する研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 教育学部 | 助教授 | 神尾 達之 |
- 研究成果概要
- アメリカとドイツでは特にド・マンの論文がきっかけとなって,クライストのテクストの脱構築がインフレーションを起こしている。その一方で,日本におけるクライスト研究は,ポスト構造主義の成果を批判的に摂取することが殆どなかった。前者の方法に歴史的反省という契機が欠けているとすれば,後者は実証主義や作品内在解釈の呪縛から十分に自由になっていない。本研究は作業仮説として暫定的に,テクストの内部(例えば作品内在解釈が対象とするような次元)とテクストの外部(例えば受容理論や精神史や実証主義が対象とするような次元)とを区別した。この前提に立って,H.v.クライストの『拾い子』を分析すると,テクストの内部と外部の両方で解釈行為が問題化していることが判明する。まずテクストの内部では主人公ニコロが,自らの出自と継母エルヴィーレの愛の対象をめぐる出来事や情報を解釈する。ニコロは,偶然に生じたとも思われる個々の事象を,彼の欲望を充足させるように整序し,一つの愛と憎しみの物語を作り上げてしまう。彼の解釈行為は多義的な事象を一義化する。それと同様に,このテクストの外部からテクストの内部を見おろす研究者=観察主体=解釈者たちもまた,『拾い子』というテクストをめぐる多義的な事象(例えば主人公の性格づけや,この小説の成立時期)を一義化し,テクストから一つの物語を作り上げる。その際,彼らはテクストを一定の意味概念(例えば運命や不条理)に還元させようとする。このような読みの象嵌構造は,さらに親鍵・アナグラム・鏡という三つの形象を分析してみると,テクストの外部と内部における自己参照性を示唆していることが明らかになる。端的にいえば,テクスト外部の解釈行為がテクスト内部のそれによって先取りされたわけである。テクストの外部は,ここにはない。『拾い子』のこのような構造は,多少なりともクライストの他のテクストに観察できるが,その限りにおいてクライストのテクスト群は,カフカのテクストやメタ・フィクションに通じるような現代性を示している。このテーゼを補強するために,そして以上の考察が個別的なテクストの単なる脱構築にとどまることを避けるために,本研究はテクスト解釈といういわば共時的な作業に,通時的な作業をクロスさせた。真理と称される超越論的シニフィエを「意味」し,解読を待つテクストは,古来,真理の像の前にかかるヴェールとして表象されてきた。レッシング,モーツァルト,ゲーテ,シラー,カント,ノヴァーリス,ホフマン,ニーチェ,ツェラーンのテクストにおけるこの表象の変奏のプロセスの中に『拾い子』を置くと,クライストのテクストでは,真理の到達不可能性の確信が,解釈行為による真理の簒奪という形をとっていることが判明する。