表題番号:1995A-068 日付:2002/02/25
研究課題1920年代ロシア散文空間の共通言語-レーミゾフ,ザミャーチン,〈セラピオン兄弟〉をめぐって-
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助手 草野 慶子
研究成果概要
1920年代ロシア散文空間の共通言語を探るという課題を果たすにあたって,今回は,当時文壇で様々な議論の対象となっていたプロットの問題と,この議論を生み出す社会的な要因となっていた読者論の問題からアプローチをするという方法を採った。具体的な研究対象としたのは,ごく若い作家たちの文学結社〈セラピオン兄弟〉,これと対比するかたちでフォルマリストのシクロフスキイ,全体の議論を補足するかたちで20年代の代表的作家ザミャーチンである。
 多様な文学流派が同居する20年代の散文空間のなかで,〈セラピオン兄弟〉の指導者ルンツやカヴェーリンといった作家たちは,ロシア文学には欠落していた(と彼らが考える)周到に確固として構成されたプロットの必要性を訴えたが,これは純粋に芸術上の問題のみならず,革命後の読者層の変化や文学の大衆化といった社会的状況に応えようとするものでもあった。一方シクロフスキイら逆にプロットの解体に向かったグループは,徹底的に美学上の実験を押し進めるように見えて,同時に文学の現実と社会主義イデオロギーを,特に素材の面で合致させんとしていたもとれる。
 新しい社会の新しい読者のための文学という発想は,同時代の日本でもプロレタリア文学の担い手によって盛んに喧伝されたが,ここでプロットをどう位置づけていくかという問題は,ロシアと同様の対立項を孕みつつ,より以前の文学論争においても見出すことができる。さらに大きな視点を加えれば,今世紀初頭からまず西欧で台頭した,その創作原理に必然的に読者との共同創作の理念を内包しているモダニズム文学と,社会・経済的事情によっても促進された純文学と大衆文学の二極分化,それに伴う「読まれる」プロットの大量生産というこの文学の激動期において,プロットと読者の問題は常に中心的な文学上のテーマであり続けたのであった。