表題番号:1995A-043 日付:2002/02/25
研究課題正宗白鳥研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 佐々木 雅發
研究成果概要
正宗白鳥が夏目漱石の『虞美人草』を「『八犬伝』,『小説神髄』以前」と評したのは有名であるが,そればかりでなく白鳥は終始漱石を厳しく批判しつづけた。日本近代の作家数十名を扱った『文壇人物評論』の中で,批判の対象となったのはわずか三人,夏目漱石,泉鏡花,志賀直哉である。しかも漱石への批判は文学観,人生観における両者の本質的な対立を浮き彫りにしている。たとえば長塚節『土』をめぐって漱石は,そこに描かれた農民達を「下卑で浅薄で,迷信が強くて,無邪気で,狡猾で,無欲で,強欲で」と評し,その「蛆同様」,「獣類に近き」生活を知ることは「公等の是から先の人生観の上に,又公等の行動の上に,何かの「参考」として利益を与へはしないか」と言っている(「『土』に就いて」)。勿論そこには「蛆同様」,「獣類に近き」農民達の生活を「参考」にしつつ,それを越えたまさに人間的な生活を意志しようとする漱石の理想主義が語られているのだ。が一方白鳥は「私は戦国時代にも人間はそれぞれに瞬間の楽しみを楽しんでゐた如く,いくら貧苦に虚げられてゐる農民だってそれ相当に生を楽しんでゐるに違ひないと思つてる」とし,「十数年の努力でやうやく光明に向ひかけた勘次の家が子供の火遊びから雑作なく焼けてしまつたところまで読むと,勘次の顔を見るに忍びない気持ちがした」と言っている(「『土』と『荷風集』」)。さりげない口調だが,ここにはそのようにハラハラと一喜一憂するしか小説の読み方はなく,またハラハラと一喜一憂する以外人生を耐える耐え方もないという白鳥の現実主義が語られているのである。白鳥の批判にはつねにこの強固な,しかし柔軟な人生への視線がうかがえるのである。・・・今回その白鳥の批判を通し,芥川龍之介,森鴎外,島崎藤村等の作品を再検討する作業を進めたが,いまだ道なかばである。いずれ集大成しつつ,白鳥の批評の全円を描き出したい。