表題番号:1995A-008 日付:2002/02/25
研究課題巨大科学技術の発達と法的統制-原発訴訟を中心に
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 教授 大浜 啓吉
研究成果概要
現代文明を支えているのは巨大科学技術であるが,科学技術そのものが高度の知識と複雑なシステムからなるために限られた専門家しかそれを真に理解しえないというジレンマに陥っている。しかし,巨大科学技術は,我々市民の実生活と隣り合わせに存在している。他方,科学技術は潜在的危険を内包しているだけでなく,当該技術の専門家だけで解答をだし得ない未解決の問題に直面している。私は,本研究で原発訴訟に焦点をあて,裁判の現状を分析し,法的統制の可能性を検討したいと考えた。(なお,将来的には人間の生と死および遺伝子などに纏わる法的問題も取り組みたいという私の問題意識に合わせて,表記のようなやや大きな標題に設定した。)
周知のように,原発訴訟としては,伊方原発(松山裁判昭和53.4.25,高松高判昭和12.14,最判平成4.10.29),福島第二原発訴訟(最判昭和59.7.23,最判平成4.10.29),東海第二原発(水戸地判昭和60.6.25),もんじゅ原発(最判平成4.9.22),柏崎・刈羽原発(新潟地判平成6.3.24),女川原発(川内地判平成6.1.31)等が存在する。これら一連の判決によって裁判の傾向はかなりはっきりしてきたといえる。第一に,初期の判例では,原告適格論が一つの焦点であったが,最新の柏崎・刈羽原発訴訟では,原告適格は当然の前提とされるまでになってきた。しかし,第二に,実体問題としては,伊方・福島第二原発訴訟の判断枠組みがそのまま踏襲されており,実際には原告(市民)がすべて敗訴に終わっている。私は柏崎・刈羽原発訴訟の分析を通して,裁判所が審査範囲が行政訴訟10条1項の取消事由を原告の利益に関係あるものに制限したこと,および原子炉等規制法24条1項4号の安全性審査の対象を原子炉施設の基本設計に限定したことの不当性を論駁するとともに,実体問題の審査方式として判例の中に定着してきた二段階裁量論(専門技術裁量と政治的裁量に分ける前者の安全性が肯定された場合に後者の判断を行うという審査方法)の問題点を指摘しておいた。第三に,司法審査の判断枠組みを用いた判例の具体的判断には問題が多い。原告の指摘する具体的な危険の指摘が,例えば「調査審議及び判断の過程には看過し難い過誤,欠落があるとは認められない」というワンパターン・フレーズでことごとく退けられる点をみると,いかに裁判が自由心証主義でなりたっているとはいえ,果してこれでいいのかという気持ちにさせられる。この点では,科学的な事実に基づく反論を積み重ねていく他はないであろうが,事実認定論としても今後研究の余地がある。
本研究は,今後も継続しておこない,原子力法制の批判的検討を含めたより本格的な論文に発展させていく所存である。