表題番号:1994B-023
日付:2002/02/25
研究課題赤米の実験考古学的研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 第一・第二文学部 | 教授 | 岡内 三眞 |
(連携研究者) | 第一・第二文学部 | 教授 | 菊池 徹夫 |
(連携研究者) | 人間科学部 | 助教授 | 谷川 章雄 |
(連携研究者) | 第一・第二文学部 | 助手 | 小泉 龍人 |
(連携研究者) | 校地埋蔵文化財調査室 | 助手 | 小沢 正人 |
(連携研究者) | 本庄高等学院 | 教諭 | 佐々木 幹雄 |
- 研究成果概要
- この研究は,考古学によって解明されたデータに基づき,弥生時代から栽培され続けてきた赤米を実験的に栽培し,データを採取しながら稲作の追体験をする。そして実地の稲作体験や観察を通じて得た視点やデータ,実験成果を発掘調査や考古学研究に反映させ,ユニークで創造的な考古学研究方法を開発していくことを目的として行われた。
1994年度は,財務部管財課と協議の上,本庄校地内の浄化槽脇に実験用の水田(50m2)と畑(20m2)を造成して実験栽培を始めた。
5月に直播きをし,さらに6月に田植えを実施し7月,8月は草取りとデータ取りを行い,10月末に石庖丁を作り穂首摘みで収穫した。しかし1994年夏は稀にみる冷害のために,それまで予備的に行ってきた実験栽培の1/3に満たない収穫量にとどまり,実験初年度から自然のはかり難さを経験した。
1995年度は,水稲と陸稲,直播きと田植えのほかに,緑肥などの施肥方法を変えて収穫量の差異が生じるか否かを検討することにした。5月に栽培を始め,データをとりながら栽培管理を続けた。あと少しで収穫という9月末に極地的な雹のために稲が全滅の憂き目にあった。この降雹は,隣接する美里中学校の窓ガラスを破損させ多数の学童を負傷させるというほどの激しさであった。このためにわれわれの実験も収量が計測できないほどの結果に終わったのである。
もし,われわれが弥生人であったなら2年続きの不運な天候異変のために,餓死者を出す悲惨な状態に陥ったであろう。本来の目的である正常なデータは得られなかったが,稀にみる異常気象によって,われわれは自然災害時の貴重なデータと体験を積んだのである。
成果報告を作成中であり,天候異常にめげず,さらに十分な計画をたてた上で再度また実験に挑戦する予定で準備中である。